Monthly Archives: 2月 2013

望んだものは得られない

求めよ、されば与えられん–Petite et accipietis, pulsate et aperietur vobis.

レベル1の願望というものがある。それは、単純に努力をすれば叶うか、近づけるものだ。当たり前のことを、当たりまえに。できれば戦略的にやれば、できる。

資格試験とか、受験勉強とかが分かりやすい。枠が決まっていて、何を努力すればよいかが分かる。本、教習所、講習会や、塾やセミナーで、それは学べる。

例えば、文章力を鍛えるにはどうすれば良いか。

まずは語彙がなくてはいけないし、伝えたいメッセージを構造化して伝える必要もある。助詞や接続詞の使い方、コロケーションを学ぶ、云々。さらには名文の写経も手段としてはあるだろう。

 

探しても見つからない

一方、そんな風には、叶わないものがある。「レベル2の願望」と、それを置く。

例えば、人脈。人脈は、他者に繁く貢献できる人材・人と人とを繋ぐことの出来る人材が、多くの人と会いに行くと結果としてできるのであって、「人脈を求めて」「人脈を求める会に出席」したところで、お金にも楽しいプロジェクトにもならない「人脈を求めている人同士の交流」が産まれるだけだ。

そう。レベル2の願望は、結果として叶うのだ。達成の目的にはなり得ないのだ。けれど人は無垢であるから、結果としてのその姿を直接に、手に入れようとする。

先ほど例として挙げた「文章力を上げる」という命題。前述したところまでは、掛け値なしにレベル1の願望だ。けれど、もうそれ以降はそんな風にはいかない。どうしたって人生で経験しないと書けない文章はあるのだろうし、逆に経験したかった何かを永劫、経験できなかったことから発露される表現もあるだろう。何かを五感で実感することもそうだし、教科書的に学べることは限られている。

何より、ひとは、信念の強さに影響をされてしまうから。「伝えたい、何かがあるんだ」と切々と綴られた記事は、名文でなくとも、人を動かす何かがある。力を持つ言葉は、上手い文章を書こうとして出てきたものではない。伝えるべき内容と、伝えたいパッションが伴ったときに、その文章は力を持つ。文章力を上げようと努力したところで、その域に到達することは、やっぱり無いんだ。

例えば、ルワンダで起業した村上由里子がいる。せっかく立ち上げたレストランが燃えた後、ReadyForで資金集めを行い、目標金額を遙か超えて。そうして彼女のしたためた文章には、とても力があった。

私は「感謝」を書ききれない。
それでもやっぱり、
ありがとうございました。

大切に使います。

あと少し。もし協力してくださる方がいたら、
よろしくお願いします。

あの日から私は、家にこもるのをやめました。前に、すすまないと。

名文なんかを書こうとしていたら、この力は出ない。出ないんだ。

 

リーダーにならなくては、リーダーにはなれない

もうひとつ。「成長」もそうだ。途中までは得られても、成長を目標としている人には、到達できない領域というものがある。

組織のリーダーを見ていると、それがよく分かる。それを素直に実感させてくれたのは、今振り返ると「こころの病を予防する」NPO法人 Light Ring代表の石井彩華だったなあ、という気がしている。

組織のリーダーと半年・一年経過して会うと、全く違って見える。昔の彼女とは全然違う、成長が著しい。

なぜだろうか。成長を志しているからではない。貢献を志すから、その貢献ができるくらいに成長するのだ。貢献のために、組織を引っ張る必要があるから、組織が引っ張れるようになるのだ。数人の組織ですら、リーダーはあらゆるトラブルに出会うし、でも、自分自身で解決しなくてはならないし。

これら成長の中でも、リーダーは「観」の変容が著しいのだと想う。観とは、もののみかた。世界観のことだ。

別に勝負しているわけではないのだけれど、企業のリーダーや、極めて有能な人材との会話は「世界観勝負」になる。お互いが、どういうみかたで、世界を見ているか?社会の先をどう考えるのか。自社の・他社の人材についてどう考えるのか。人間観、仕事観、社会観、果ては、宇宙観まで。

「観」をつくることをコツコツ志向しても、恐らくそれは得られない。リーダーは、世界観を作らざるを得なかったのだ。処理すべき膨大な事項がある中で、持論の体系が結果として組み上がっていったのだ。

 

世の中は、求めても得られないものが、頑張ってがんばって努力すれば手に入るというような。そんな優しい嘘で溢れているから、恐ろしい。

それも、途中までは、ある程度までは、素直に頑張れば本当に手に入るのだから、ほんとうに怖い。

 

人々が、より本質的な努力ができますように。

 

ひとは、あからさまを求めている。

ひとは、あからさまを求めている。

心理学の探求は進むし、書店ではあたかもそれが真実であるかのように、人をコントロールする方法が山盛り書かれてある。だけどちっとも人は幸せにならず惑わされてばかりだし、人が人をコントロールしきることなんて、まあ未来永劫できないわけで。

人について、人が。わかってきたつもりになって。それで稚拙な奸計が巡らされる時代にあって虚飾ない「あからさま」には、むしろ人を動かす何かがあるんだ。

「あなたと仲良くなりたいんです、えへへ。」とか。
「もっとお話したいです」とか、「デートしましょう」とか、それこそ「好きです」とか。
「ピンときたので」とか「気になっていたので逢いたい」とか「ありがとう、助かりました」とか。 「尊敬しています。僕の師匠になって貰えませんか」とか。

そんな「あからさま」には、むしろぐっと来ないだろうか。こういうコトを、きちんと言うリスクをとらないで、今回の人生を済ませようとはしていないだろうか。

あからさまには、意志があって虚飾が無い。

当たり障りの無い会話は、意志が不在なんだ。ただ消費されていくだけで、やり過ごす会話になるんだ。

一方、あからさまには、意志がある。「あなた」に対して、「世界」に対して、こうして欲しいのだと、こうしたいのだと、それを示す意志がある。その意志の存在こそが「あからさま」の会話を際立たせる。

だから、当たり障りのない会話は忘却の彼方に滅し、記憶に残る会話はいつだって明け透けであからさまだ。

世の中に「あからさま」が、つまりは本心で会話をする人が減ったいまこそ、ひとはあからさまを、求めている。
「あからさま」という言い方。確かにちょっとよくは無いかも。
では、こんなふうに、言ってみようか。

「ひとは、素直さを、求めている。」

他人をコントロールするノウハウとか、話し方の本とかを読む前に、素直に 想ったことを、ほら口にしてごらん。

人材育成には「観」が必要

そして、僕にはまだそれがない。

人材育成について

どうしたって、社会で誰かが「教育コスト」を負担しないといけない。
ひとりひとりが生き抜く為にも、企業が生き延びるためにも、国・社会がより豊かにあるためにも。この社会から豊かさや遊びが喪われてきたいま、学校と大企業は、それを押し付けあっているようにすら見える。

うちでは、この小規模な会社に可能な分だけは、人材育成コストを負担したい。僕は、人の成長に立ち会うのが楽しいと想うし、やりたいと思っていたけれど、会社ができて3年。うちにはまだ「体系」が無い。

インターン生には、基本的には成果報酬しか払わない。

うちでいう人材育成は、基本的にはOJTということになる。四半期に一回、目標設定とレビューをして、その人の個性・才能(=人生でこれまでやり続けてきたこと)が出来るだけ活かされるように、ということを考えている。

まあでも、うちだって大きな企業ではないから、インターン生には基本的には、成果報酬しか払わない。その代わり、彼が稼げるように鍛えるということがバーターだと思っている。彼が稼げるようにならなければ、僕らも痛手を負うわけだ。

もっとも、一年生からうちに居る彼は(あんまりもう学生だとすら思っていないが)、月十数万円支払われている。

人材育成には、原理原則がある

と、想う。それはいったいなんだろう。僕にはまだ、それが分からない。わからないから、考えてみる。

 

人材育成では、なにを目指すとよいのか

1.未来社会との調和
未来の社会に於いて、必要な人材へと仕上げる、ということである。近視眼的な「これやって」だけではない、うちで働くことが、未来の彼のキャリアに繋がらなくてはならない。

2.組織との調和
組織が大切にしていること、組織が価値があると認めることができるように仕上げる。
換言すれば、弊社の中で、価値が産み出せるように、ということである。居場所を創るということである。

うちで言えば「ディレクターを育てる」ということである。ディレクションができる人間しか、うちには要らない。他は、全てやろうと思えば外注ができる。ディレクションとは、第一にビジョンが問われる仕事である。第二に審美眼が問われる仕事である。

3.個性との調和
先程も言及した、本人の強み・卓越性との調和である。

うちで言えば、ディレクターとなる時、なにを強み・専門性・コアとして、自らの世界観を構築するかということである。デザインなのか、分析なのか、コミュニティづくりなのか、チームビルディングなのか、言葉なのか、かたちなのか、素材なのか…。たぶんだけれど、どこを掘っても本質にたどり着く。本質にたどり着くことができたなら、そこから見えた世界は、きっと正しい。

では、そのような人材を、いかに育てるか

ここを、これから、考えていく。

なぜ社会から意味が喪われたのか。

私たちは、意味が不在となった社会に生きている。
では、なぜ、意味は喪われてしまったか。

 

意味の不在は、

第一に「実感の不在」である。

社会に増え続ける情報は、記号処理を促した。
実感・体感ではなく、記号として処理することで、スピーディーに物事が処理できる。

また、理性は感情に比べて高い地位に置かれた。
実際には、感情とそして利害の奴隷であるのに、わたしたちは。

 

第二に「貢献の不在」である。

人々はindi-vidualとして分断された。
人々は別々に住まうようになり、さらに住まいは個室に分断される。

コミュニティの崩壊・家族の崩壊のはじまりである。
帰属すべき場所の不在が、貢献の対象を奪う。

ヒトは、貢献によっても意味を感じる生き物である。

また、社会がネットワーク化され、複雑化されたことも、その一因になる。
社会の中で、人々は役割に分断化され、責任は分散され、
そうしてオーナーシップが不在になった。

 

第三に「効率化」である。

中でも、「効率化が意味を持つ、生物学的限界に達した」ことである。
科学技術の発展は粋を極めた。

多くの領域では既存の価値に「改善」を行ったところで、
意味を持たない地点に至っている。

例えば、網膜の解像度を超えるディスプレイ。
人が制御できない馬力のオートバイ。

改善や効率化の先に、最早、意味を見いだせなくなった。
新しい価値の提示こそが求められている。
また、効率を上げるために行なってきたことがもう一つ。
それが均質化(そして標準化)である。
例えば学校給食では、パンと牛乳という同じものを
効率よく大量に日本中に流した。
その中では地域・土地の食文化はないがしろにされてきた。

けれど、大量生産・大量消費では、満腹にはなっても、満足はしないことが明らかになった。
もとより、地球の資源・自然環境も大量生産・大量消費を無限に支えられるわけはない。

「意味」について

「意味」について、考えを深めていきたい。

消費者としての「意味」と、生産者としての「意味」という区分で、少し切り分けて考えてみるとどうだろう。

消費者としての、意味。

それはプロダクトやサービスと、自分との繋がり。自分がどれだけそれを通じて「良い時間」が創れるのか、得られるのか。五感が喜ぶこと、ハッとすること、生き方が変わること、成熟すること、童心に還ること。

手段としては例えば、良い会話が産まれることや、本物を知ること。自分のことがわかること。

 

生産者としての「意味」

これも、2つあるだろう。成果に対するものと、プロセスに対するもの。

どちらかといえば、大切なのは「成果」だ。自分の仕事が、一体誰のどんな幸せをつくったのか「消費者としての「意味」をどれだけ創造したのか」その創造に、自分の仕事がどのくらいサポートできたのか。意味があると信じきれているか。同時に、懐疑できて深めることができているか。この生産者としての意味は、そのまま生きた実感に繋がるのだ、と思う。

ヒトによっては、社会や世界の真実の発見も価値だろう。「応用」「短期的具体的な利益・便益」は先の話しで、ひとつ真実に近づくことが、この上なく楽しい。これもひとつの生産。

プロセスに対するものは、消費者としての「意味」に近い。仕事を通じて、どれだけ成長できるのか、とか、新しく誰かと知り合えるのか、とか、仕事を通じてどんな会話ができて、人間が深まっていくのか、とか。

 

ほら、だからあなたの仕事の、あなたの人生の、意味をつらまえて。

 

 

豚の丸焼き会をやった

「豚の丸焼き」
一度、目の当たりにしてみたかった。
1月26日、ついにそれをやった。4人の主催者で、それぞれに仲間に声をかけて、40人が集まって、15キロの豚を貪ったのだった。

鶏であれば、パックに入った肉ではなく「生きものをまるごと」という体験は、あった。バングラディシュでグラミン銀行のインターンに行った学生時代、隣のチームの買い物についていった時のことだった。

シチューを作りたかった彼らは現地の有力者に鶏をリクエストして、すると。ついて来いと言われて数十分後、果たして人夫が鶏の首を錆びついた刀で一刀両断。ついさっきまで生きていた鶏を袋に入れてくれたのだった。

 

それで、豚である。
会場や時間の都合もあって、今回は豚を焼いたり処理したりした上で、送ってもらった。

届いた豚の、圧倒的な存在感。そして油。602831_10151444399960050_2047342461_n[1]

みんなで、豚を撮影して。792306_4298007380249_1527653725_o[1]

ついには豚に首から刃を入れ。67900_4988866235352_943346457_n[1]

友人は、豚について知れるスライドを作ってきてくれてプレゼンを(実際には紙芝居だった)

そうして、宴の夜は過ぎていったのだった。319809_504366676281544_1702192990_n[1]

 

■豚会の準備のはなし

開催日の2ヶ月前。はじめに、日程を4人でFIX。プロジェクトスタート。
会場もうまく押さえられたことで、本格的に始動。

それから1週間後。某外コンで使っているテレカンを用意してもらって、おおまかなConcept、役割分担、当日までの準備のスケジュールを決めた。みんな、仕事中毒なので、このスケジュールが守られることは無かったのだけれど。

その後、100通ほどメールを送りあって、当日を迎えた。

●Google Driveで共有ファイルをつくって進めた。

案内文、会計管理、食物や飲み物の管理、必要な道具(受付、調理、盛り付け)、当日の流れ、招待周り、プレゼンテーション依頼、気になることリスト等を、Google Driveで共有しながら進めた。

4人とも、仕事に濃淡があるので、全員が同時に時間がとれるタイミングが中々無かったため、時間が捻出できた時に、考えるべきことを考えたところまで共有する。次の誰かがそれをフォローする、といった、小さな時間を足し算しあえるような仕事のしかたは、ちょっとよかった。

会社ごとの文化の違いも垣間見れて良かった。僕だったらテレカン予約しない。Skypeでやる。僕だったら「担当者」と書くが彼は「Owner」と書いた。”Owner”という言葉、これから使っていきたいと思っている。

みんな手が回らなくて止まっている時に「進めよう」と声をあげるのはリーダーシップ。リーダーシップ開発に力を注ぐあの会社なればこそ。フットワーク軽く、モノを抑えておくし、空港まで取りに行くよ、と言ってくれるのも出張多いあの会社だからこそか。

案内文は1ヶ月前になんとか仕上げて、当日に向けて徐々に集客をした。メインの丸焼きがインパクトあったからか、集客にはあまり苦労しなかった。「今回の会にマッチするあなた」をイメージする方が難しかった。

パックでも切り身でもない、焼きあがった一頭の豚の、圧倒的な存在感と、香ばしいかおり、パリパリの皮。そんな豚の言葉通り脳みそから尻尾までを肴に、乾杯しましょう。

なんてセリフを案内文では書いたけれど、もちろんまだやったことが無いわけで、この時点では完全に妄想である。

■豚会当日のはなし

●全体の流れ
受付→開会の辞→乾杯→写真撮影→入刀→豚プレゼンテーション→小グループで取り分け&談話→自由に飲み食いするなど→クロージング→二次会→朝

●会計的なはなし
一次会38×5000、二次会14×1500の21万円くらいが売上。準備が18万円くらいなので、利益率14%くらい。別に利益は出さなくていいが、ドタキャンとか、モノを先押さえするリスクを考えると、利益率20%ぐらいのラインだと安心だと思うので、もう少しコストを押さえるなどしたい。今回のドタキャン率は10%くらいだった(主催者を除いて43人登録39人来場)。
ささやかながら上がった利益で、主催者は美味しいものを食べにいきます(でも、既に日程調整に苦労しています)

●食材の調達

・豚はここで注文した。
豚の丸焼き ヘルシー焼き 63,000円
当日15時の空港止めで、主催者のひとりに空港まで取りに行ってもらった。
12~15キロ/40人なので、余裕かと思ったが、ちょっと40人だと少なかった。
骨部分が思ったよりもいっぱいあったのかもしれない。

・お酒は多すぎたかもしれない
酒豪が集まるとのことでワインを24本、シャンパンを6本、ビールを72本に、たっぷりとソフトドリンクなど、5万円分くらいのお酒を用意した。
二次会でワインが全部空いたのはびっくりしたけれど、ビールは一箱(24本)余った。
次、40人でやるとしたら、ワイン18本、シャンパン4本、ビール36本で一次会はOKなのでは。カクヤスで買って、当日直接会場に届けてもらった。

・オードブルはちょっと少なかった
2万円分(8~10人前×3)くらいオードブルを買って、その他食材を1万円分くらい買ったのだけれどちょっと少なかった。瞬く間に無くなった。お米を炊いておくとかやると、よかったかもしれない。オードブルの入っていた蓋は、豚を分けるときに活用できてよかった。会場近くで数日前に調達。直接会場に届けてもらった。

・豚汁をつくる。
料理の得意な女子に、豚汁をつくってもらった。豚一頭を余すこと無く食べられて、幸せの極み。

・ワイングラスは、ちゃんと買った
楽天で、1000円以下/5個入り で売っている。
50個購入して用意した。やってよかった。一方で、お皿は紙皿を用意した。それでいい。

 

●工夫して良かったこと/今後の課題
・会場がとても良かった
会場費を少し掛けてでも、どこかのオフィスとかではなく、パーティー向きのいい場所を抑えられて良かった。キッチン設備なども、とても助かった。

・導線の設計
40人も参加すると、一箇所には集まることができない。
なので、撮影後に10人×4グループで取り分けて貰うなど、導線上の工夫をした。

・光を考える
写真撮影の時にライティングのことをあんまり考えてなかったので、夜開催のときはそれを意識する必要がある。偶然だけど豚は光の下の、最高の位置に配置していた。

・受付は大変
お手伝いしてくれる人が3人くらい居て、彼らにお任せしてとても助かった。
幹事をやりながら、受付・お金回収とかは結構厳しい。ほんとうにありがとうございます。

・精緻でわかりやすい地図をつくった。
受付対応しながら、迷った人を対応するのがハードすぎると予想されたので、精緻な地図をつくった。幸い、ひとりも迷わなかった。良い地図だった。

・名簿は男女に分けてalpha-beta順にソートしておくだけで、だいぶ違う。
Facebookから名簿を出す時に、英語で出してソート。

・実は、あんまり豚を食べていない。
幹事、結構食べてる暇がない。二次会でつかれて寝落ちた。

・遅刻は割と多かった。
来場時間の分散を想定して流れを考えておく必要がある。先オードブル+乾杯ではじめて、豚をバラすのはちょっと先とか。まあでも、酔っ払ったら人は話聴かなくなるから、ライトニングトーク依頼とのバランスはある。

いろいろあったけど、総じて楽しい会だった。
適当な飲み会より値段の割にクオリティ高かったし、とてもよかった。

 

主催者・お手伝いのみんなと一枚。写っていないけれど、もう二人に受付を、もう一人に調理を、手伝って頂きました。775704_4297919418050_1604712870_o[1]

 

「統合」思考ができる人材を育てたい。

コンサルティングという仕事。
人の成長を目の当たりにする。

自社だけではなく、顧客企業で「わかってきた」人が増える。
たとえば、なぜ彼女は、変われたんだろう?と背景に想いを馳せる。
彼女は、他の社員と違う。ひとり、より高い視座で考えている。考えられている。
社長の視座で物事を捉えることができる。

それは、言われた事を言われたままやっていないから。
表面的な発言の奥にある「意味」をとらえて、彼女は仕事をしている。

「統合」して考えられる人を増やしたい、と思っている。 まずは自社の中に。
統合して考えられる人は、的確な意思決定ができる。自分の業務の範囲を超えて、全体の事が考えられるから。
統合して考えられる人は、リーダーシップを持てる。
「自分の利益のため」なんかではない方が、ひとはポジションが取れるから。目標を描き説得できるものだから。

統合とはなにか。
「構造の把握(あるいは関係性・つながりの理解)」と、「意味の体感」できっとそれは成る。
ゆえに、頭脳派の記号処理だけでは、統合はできない。

はじめの一歩は「意味」を問うことなんじゃないだろうか

何気ない、上司や社長のひとこと。
それを、単なる命令として受け取るのではなく、真意を、なぜそれを言ったのかを、
どうしてそのタイミングでその発言をしたのかを、表面的な言葉の内奥に想いを馳せること。その人の情動までをも、シミュレーションしてみせること。

”「意味」を私は、理解できているか?”この問を私自身にも、捧げよう。