ひとは、あからさまを求めている。

ひとは、あからさまを求めている。

心理学の探求は進むし、書店ではあたかもそれが真実であるかのように、人をコントロールする方法が山盛り書かれてある。だけどちっとも人は幸せにならず惑わされてばかりだし、人が人をコントロールしきることなんて、まあ未来永劫できないわけで。

人について、人が。わかってきたつもりになって。それで稚拙な奸計が巡らされる時代にあって虚飾ない「あからさま」には、むしろ人を動かす何かがあるんだ。

「あなたと仲良くなりたいんです、えへへ。」とか。
「もっとお話したいです」とか、「デートしましょう」とか、それこそ「好きです」とか。
「ピンときたので」とか「気になっていたので逢いたい」とか「ありがとう、助かりました」とか。 「尊敬しています。僕の師匠になって貰えませんか」とか。

そんな「あからさま」には、むしろぐっと来ないだろうか。こういうコトを、きちんと言うリスクをとらないで、今回の人生を済ませようとはしていないだろうか。

あからさまには、意志があって虚飾が無い。

当たり障りの無い会話は、意志が不在なんだ。ただ消費されていくだけで、やり過ごす会話になるんだ。

一方、あからさまには、意志がある。「あなた」に対して、「世界」に対して、こうして欲しいのだと、こうしたいのだと、それを示す意志がある。その意志の存在こそが「あからさま」の会話を際立たせる。

だから、当たり障りのない会話は忘却の彼方に滅し、記憶に残る会話はいつだって明け透けであからさまだ。

世の中に「あからさま」が、つまりは本心で会話をする人が減ったいまこそ、ひとはあからさまを、求めている。
「あからさま」という言い方。確かにちょっとよくは無いかも。
では、こんなふうに、言ってみようか。

「ひとは、素直さを、求めている。」

他人をコントロールするノウハウとか、話し方の本とかを読む前に、素直に 想ったことを、ほら口にしてごらん。

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