人材育成には「観」が必要

そして、僕にはまだそれがない。

人材育成について

どうしたって、社会で誰かが「教育コスト」を負担しないといけない。
ひとりひとりが生き抜く為にも、企業が生き延びるためにも、国・社会がより豊かにあるためにも。この社会から豊かさや遊びが喪われてきたいま、学校と大企業は、それを押し付けあっているようにすら見える。

うちでは、この小規模な会社に可能な分だけは、人材育成コストを負担したい。僕は、人の成長に立ち会うのが楽しいと想うし、やりたいと思っていたけれど、会社ができて3年。うちにはまだ「体系」が無い。

インターン生には、基本的には成果報酬しか払わない。

うちでいう人材育成は、基本的にはOJTということになる。四半期に一回、目標設定とレビューをして、その人の個性・才能(=人生でこれまでやり続けてきたこと)が出来るだけ活かされるように、ということを考えている。

まあでも、うちだって大きな企業ではないから、インターン生には基本的には、成果報酬しか払わない。その代わり、彼が稼げるように鍛えるということがバーターだと思っている。彼が稼げるようにならなければ、僕らも痛手を負うわけだ。

もっとも、一年生からうちに居る彼は(あんまりもう学生だとすら思っていないが)、月十数万円支払われている。

人材育成には、原理原則がある

と、想う。それはいったいなんだろう。僕にはまだ、それが分からない。わからないから、考えてみる。

 

人材育成では、なにを目指すとよいのか

1.未来社会との調和
未来の社会に於いて、必要な人材へと仕上げる、ということである。近視眼的な「これやって」だけではない、うちで働くことが、未来の彼のキャリアに繋がらなくてはならない。

2.組織との調和
組織が大切にしていること、組織が価値があると認めることができるように仕上げる。
換言すれば、弊社の中で、価値が産み出せるように、ということである。居場所を創るということである。

うちで言えば「ディレクターを育てる」ということである。ディレクションができる人間しか、うちには要らない。他は、全てやろうと思えば外注ができる。ディレクションとは、第一にビジョンが問われる仕事である。第二に審美眼が問われる仕事である。

3.個性との調和
先程も言及した、本人の強み・卓越性との調和である。

うちで言えば、ディレクターとなる時、なにを強み・専門性・コアとして、自らの世界観を構築するかということである。デザインなのか、分析なのか、コミュニティづくりなのか、チームビルディングなのか、言葉なのか、かたちなのか、素材なのか…。たぶんだけれど、どこを掘っても本質にたどり着く。本質にたどり着くことができたなら、そこから見えた世界は、きっと正しい。

では、そのような人材を、いかに育てるか

ここを、これから、考えていく。

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