望んだものは得られない

求めよ、されば与えられん–Petite et accipietis, pulsate et aperietur vobis.

レベル1の願望というものがある。それは、単純に努力をすれば叶うか、近づけるものだ。当たり前のことを、当たりまえに。できれば戦略的にやれば、できる。

資格試験とか、受験勉強とかが分かりやすい。枠が決まっていて、何を努力すればよいかが分かる。本、教習所、講習会や、塾やセミナーで、それは学べる。

例えば、文章力を鍛えるにはどうすれば良いか。

まずは語彙がなくてはいけないし、伝えたいメッセージを構造化して伝える必要もある。助詞や接続詞の使い方、コロケーションを学ぶ、云々。さらには名文の写経も手段としてはあるだろう。

 

探しても見つからない

一方、そんな風には、叶わないものがある。「レベル2の願望」と、それを置く。

例えば、人脈。人脈は、他者に繁く貢献できる人材・人と人とを繋ぐことの出来る人材が、多くの人と会いに行くと結果としてできるのであって、「人脈を求めて」「人脈を求める会に出席」したところで、お金にも楽しいプロジェクトにもならない「人脈を求めている人同士の交流」が産まれるだけだ。

そう。レベル2の願望は、結果として叶うのだ。達成の目的にはなり得ないのだ。けれど人は無垢であるから、結果としてのその姿を直接に、手に入れようとする。

先ほど例として挙げた「文章力を上げる」という命題。前述したところまでは、掛け値なしにレベル1の願望だ。けれど、もうそれ以降はそんな風にはいかない。どうしたって人生で経験しないと書けない文章はあるのだろうし、逆に経験したかった何かを永劫、経験できなかったことから発露される表現もあるだろう。何かを五感で実感することもそうだし、教科書的に学べることは限られている。

何より、ひとは、信念の強さに影響をされてしまうから。「伝えたい、何かがあるんだ」と切々と綴られた記事は、名文でなくとも、人を動かす何かがある。力を持つ言葉は、上手い文章を書こうとして出てきたものではない。伝えるべき内容と、伝えたいパッションが伴ったときに、その文章は力を持つ。文章力を上げようと努力したところで、その域に到達することは、やっぱり無いんだ。

例えば、ルワンダで起業した村上由里子がいる。せっかく立ち上げたレストランが燃えた後、ReadyForで資金集めを行い、目標金額を遙か超えて。そうして彼女のしたためた文章には、とても力があった。

私は「感謝」を書ききれない。
それでもやっぱり、
ありがとうございました。

大切に使います。

あと少し。もし協力してくださる方がいたら、
よろしくお願いします。

あの日から私は、家にこもるのをやめました。前に、すすまないと。

名文なんかを書こうとしていたら、この力は出ない。出ないんだ。

 

リーダーにならなくては、リーダーにはなれない

もうひとつ。「成長」もそうだ。途中までは得られても、成長を目標としている人には、到達できない領域というものがある。

組織のリーダーを見ていると、それがよく分かる。それを素直に実感させてくれたのは、今振り返ると「こころの病を予防する」NPO法人 Light Ring代表の石井彩華だったなあ、という気がしている。

組織のリーダーと半年・一年経過して会うと、全く違って見える。昔の彼女とは全然違う、成長が著しい。

なぜだろうか。成長を志しているからではない。貢献を志すから、その貢献ができるくらいに成長するのだ。貢献のために、組織を引っ張る必要があるから、組織が引っ張れるようになるのだ。数人の組織ですら、リーダーはあらゆるトラブルに出会うし、でも、自分自身で解決しなくてはならないし。

これら成長の中でも、リーダーは「観」の変容が著しいのだと想う。観とは、もののみかた。世界観のことだ。

別に勝負しているわけではないのだけれど、企業のリーダーや、極めて有能な人材との会話は「世界観勝負」になる。お互いが、どういうみかたで、世界を見ているか?社会の先をどう考えるのか。自社の・他社の人材についてどう考えるのか。人間観、仕事観、社会観、果ては、宇宙観まで。

「観」をつくることをコツコツ志向しても、恐らくそれは得られない。リーダーは、世界観を作らざるを得なかったのだ。処理すべき膨大な事項がある中で、持論の体系が結果として組み上がっていったのだ。

 

世の中は、求めても得られないものが、頑張ってがんばって努力すれば手に入るというような。そんな優しい嘘で溢れているから、恐ろしい。

それも、途中までは、ある程度までは、素直に頑張れば本当に手に入るのだから、ほんとうに怖い。

 

人々が、より本質的な努力ができますように。

 

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