本番:実戦でこそ力は磨かれる

一方、逆説的ですが、「何かができるようになるためには、それをしなくてはならない環境に飛び込むのが一番だ」というのも一つの真実です。すなわち、いつか来たる本番のための練習を重ねるのではなく、最初から本番をやってしまうのです。

そもそも、練習や訓練を通じてスキルを身につけるのは、価値を生み出す事が目的でした。その提供できる価値というのは、必ずしも、自分自身が「既に十分学んでいるか」に依存しません。
ちょっとした、「賭ける勇気」や、「偶然との邂逅」あるいは、「気づきと直観」が、成果を大きくわけることがあります。これらは本当に「顧客」や「問い」の、息遣いが感じられるほどにフォーカスしてこそ、最大化できるはずです。

そして、この本番体験というものこそが、特に他の学生が得難い体験でもあります。
それは、小学校6年間、中学校3年間、高等学校3年間、大学4年間。この国では、16年間を。人は「準備」して生きるからです。

自分の人生の本番ではなく、いつか来る本番に向けて、いつの日か来たる、本番の人生に向けて。勉強する。インプットする。経験する。体験する…。

そうすると、その本番のはずの社会人になっても、準備の人生を生きるようになります。本番の人生を生きた事がないので、本番の人生の生き方がわからないからです。
実は社会は、何度でも甘える機会を用意してくれています。自分の頭で根本から考えず、行動せず、ある範囲で頭を使い体を使うことが、許されるようになっています。

そうして、ある日、一度も本番を迎える事のないまま、死を迎えるわけです。

いや、本当は、私たちにも全力で生きた日がありました。真剣に、自分の人生の本番を生きた事が、あったはずです。
ハイハイを覚えたとき立ち上がったとき。
公園で、泥だらけになって遊んで、本当に楽しかった時。
未来の可能性ではなく、今この瞬間感じた事の、心の声のまま行動したとき。
全力で走って、全力で泣いて、全力で喜べたとき。

だから、なにも、社会に出るという事は別に本番かどうかに関係はなくて、
学生だから、学校に行っているから、というのは別に本番かどうかに関係はなくて、
本番の人生は、自分の在りように懸かっている。

本章では、いかに目の前のプロジェクトを「本番=自分ごと」として捉え、真剣に打ち込み、気がつけば成長している・身に付いている状態にするか、という事について論じます。

本番とは―冷静と情熱のあいだにある真摯さ

それでは、ここでいう本番とは、練習でも訓練でもない本番とは何でしょうか。

例えば、同じ卒業論文を書くのでも、「本番」と見なせる人と、そうでない人が居ます。真剣に取り組める人と、そうで無い人が居ます。
もちろん全ての物事に「本番」と思えるわけでもありませんが、本番であるためには、ある種の情熱、没頭、想いが必要であるように思えます。その没頭に於いては、成長してやろう、学んでやろう、という打算は、むしろ邪魔になる気さえします。

一方、情熱だけでは物事を達成することはできません。情熱が、想いがありながらも、冷静さや、自分の思考を疑い、問い直す強さのようなものが必要です。

すなわち、冷静と情熱のあいだにある、真摯さというものが、「本番」であるために必要なものではないでしょうか。

真摯さとは、誤魔化さないで、現実や、自分の求めるものを直視することです。その真摯さは、価値を提供するその「宛先」である顧客と、価値を提供する「土台」となる現実にこそ当てることによって「本番」を作り出せるのはないでしょうか。

情熱―顧客を想定する

顧客に対して真摯であるとは、顧客との約束を守ること。顧客の期待に対し責任を持つこと。やると決めたことを、きちんとやり遂せることです。

そのために、価値の宛先である顧客をきちんと知ることが重要です。自分の行うプロジェクトが、問題解決が、誰にとってどんな価値があるかを、考え抜くこと。それが本当にそうかを検証すること。期限までに達成すること。

冷静―厳しい現実を直視する

現実を直視するには、以下のような手法が有用です。

抽象化する

意味づけする/解釈する・疑う/言葉・表現に注意を払う /整理する。順序づける。階層化する /本質を捉える /不要なものを除去する /重要なものだけを考える /関係、文脈を考える

具体化する

分割する /計測する /実験・実行・行動する

シミュレーションする

最善・最悪の場合を考える /要素を取り除いてみる /要素を付加してみる

また、日本認知科学研究所でも、現実を直視するための方法論を研究・開発しています。